「夢を売る女」 トルーマン・カポーティ

「夢を売る女」 トルーマン・カポーティ

私事になるが、数年前に一人でニューヨークへ行き、マンハッタンのホテルに泊まった。割と自由時間があったのだが、特にすることがない。買い物には興味がなく、食事も適当に済ませた。セントラルパークを走りたかったのだが、荷物になるのでウェアやシューズを持たずに行った。というわけで、散歩することにした。気まぐれに歩きまわり、深夜にも出歩いた。(安全になったとは言え、急に空気が変わるエリアがあり、ちょっと怖い思いもしたが)

歩いていて私が感じたのは「やっぱり、NYってエキサイティング。ここにいるだけで刺激的だぜ」という心踊るようなものではなく、街を包む物哀しさや虚しさだった。NYが嫌いというわけでないのだが、秋だったせいもあるのか、摩天楼の虚栄の中に漂う孤独さが身に沁み、ここで生きるのは辛くて厳しいだろうなと思ったりした。

カポーティの短編を読んでいて、ふとそんな記憶が蘇ってきた。

「夢を売る女」(原題:Master Misery)は陰鬱な作品だ。こう書くと「読まなきゃ良かった」と言っているようだが、そうではない。陰鬱だがとても幻想的で艶やかで、しっとりとした上質な時間を読み手にくれる魅惑的な一篇だと思う。暗く湿った音のない孤独なファンタジーという感じだ。

ミスター・レヴァーコームという男に、自分が見た夢を売っては現金に換えるシルヴィアという女性の話である。彼女と同じように夢を売ってきた元道化師のアル中男オライリーとの恋愛小説でもある。例のごとく、どれが現実でどれが空想なのかよくわからない。境界線が曖昧な感じだ。読者はシルヴィアが生きている世界を体験しながら、完全な孤独の方へと共に歩いていくことになる。

夢を切り売りしてお金を受け取る。そしてその夢は消費され、後には何も残らない。夢まで売ってしまったのだから、もう失うものは何もない。この短編のストーリーは、小説家という生き方のメタファーとも受け取れる気がする。パーソナルな夢を小説にし、それに対価が支払われる。小説を書けば書くほど、作家自身は枯れていき、孤独に陥ってゆく。

子供の頃から孤独の辛さに苦しみながら、それを拒絶するのではなく、慣れ親しんだホームとして親和していく。カポーティの他の短編に通底する深い闇をこの作品からも感じた。

でも、冬という季節によく合う短編だと思う。次のような美しい文章がたくさん詰まっている。

「彼女は鳥のために窓を開けっぱなしにしておいた。雪が部屋のなかに吹き込んできて、床の上でエイプリルフールの宝石のように溶けていった」