「カンガルー通信」 村上春樹

「カンガルー通信」は1981年の「新潮」に発表された短編で、村上春樹の処女短編小説集「中国行きのスロウボート」に収録されている。アメリカで最初に訳された著者の短編でもあるらしい。

ちなみに81年は、レーガンが大統領に就任し、メジャーリーグがストを決行し、日本ではピンクレディーが解散、たのきんが大人気に。マザー・テレサが初来日し、「オレたちひょうきん族」が放送を開始。ロス疑惑もこの年だったドラマは「池中玄太80キロ」が大ヒットした。

そう思うと結構古めな短編だ。このブログは20〜30代の方も割と読んでいただいているので、上記の出来事はどれもピンとこないのではないだろうか。

本筋に戻さないと、話がどんどん逸れていきそうだ。

村上春樹という作家は独白の形式がおそらく好き(得意)なのだと思う。「カンガルー通信」でも、なんの束縛もなくのびのびと筆が走っているという印象を受けた。

語り手は、デパートの商品管理課に勤めている二十六歳の「僕」。平たく言えばクレーム担当係である。間違ってレコードを買ってしまった女性から苦情の手紙に対し、長々とテープに録音した音声で返事を送るという話だ。クレーム対応の手紙をそのまま小説化するというスタイルを採っている。

この物語の大きな特徴は、語り手である「僕」の異常性にある。幻覚や妄想が激しく、「精神分裂病なの?」と読み手に疑わせる。精神疾患に関しての専門知識を私は持っていないが、「僕は同時にふたつの場所にいたい」とか「僕は僕自身でしかないという事実に腹を立てている」といった独白もあり、分裂への執着を見て取れる。

エンディングでは自身の不完全さを受け入れ殻を出ようする意思を感じるものの、個人的にはあまり楽しい読書にはならなかった。少し長いと感じたし、分裂ぶりがやや過剰かなという気もした。私は心理学にあまり興味がないので、余計にそう感じたのかもしれない。

同じカンガルーでも「カンガルー日和」とは随分とムードが異なる。シュールとかハイセンスとも言えないくないが、どうなのだろう。フロイト的な観点から分析し甲斐のある短編なのかもしれないが、恣意的に書かれたような気もするし、この手の暗さは好みでないので、今回は浅い解釈でお許しいただきたい。いつも浅い解釈だけれど。。。

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