フォートナイトの話

フォートナイトの話

普段、私はゲームをしない。糸井重里のMOTHER(いちばん最初のやつ)から時間が止まっている。スマホでチェス(chess.com)を空き時間にたまに楽しむ程度である。ちなみに、チェスは超弱い。序盤の定跡をなにも知らないので、いいようにやられている。。。

ゲームに疎いそんな私が、中学生の次男に誘われ、任天堂Switch版で「フォートナイト」というオンラインゲームをやってみた。簡単に説明すると、100人のプレーヤーが生き残りをかけて闘うバトルロイヤル形式のシューティングゲームだ。

子どもへの悪影響があると批判的なメディアもあるようだが、デザインやエフェクトはカートゥーンライクで、そこまで神経質にならなくても良いのではないかと個人的には感じた。もしゲームと現実を混同して暴力性が高まるようであれば、その子は別の重篤な問題を抱えている気がする。むしろ危険なのは依存性の方で、それはこのゲームに限ったことではない。私の中でゲームに対する考えがまとまっているわけではないが、多少は今のゲームを経験しておきたいという思いもあった。

 

で、何が言いたいのかというと、このゲーム、かなり難易度が高く、初心者ではまともに闘えないのだ。何もさせてもらえない、といってもいい。よくできていて面白いのだけれど、まったく勝負にならないのである。ゲームのど素人である上に、中年で物覚えが悪いと言われたら否定できないが、10代や20代であっても、それなりに格好が付くまでになるには相当の時間を要するだろう。

つまり、このゲームの上達にはやり込みが不可欠なのだ。一つ一つの動きを、瞬時に繰り出せるよう指に覚え込ませる。そうした地道な積み重ねが求められる。初めから巧い人も中にはいるだろうが、それは他のゲームで培ったスキルがベースにあってのことだろう。もしくは、天才かだ。

やり込むことで手に入れたスキルは容易に真似できない。それは特権的なものであり、ゲームの世界の中では羨望の的となる。初心者は、あまりの不甲斐なさに「自分は無能なのでは?」という疑念と嫌悪に襲われる。初心者と上級者の間にあるのは、才能ではなく圧倒的な練習量の差だと思う。

スポーツにしても同じことが言えるのではないだろうか。サッカーのリフティング、卓球のラリー、バスケのドリブル、空手の型、ダンス、楽器などなど、どれも繰り返しの練習がなければ習得できないはずだ。

日本人が英会話を苦手としている原因もそこにある気がする。be動詞+過去分詞など文法は理解している。単語のスペルも正しく書ける。でも、パッと言葉が出てくるような癖づけはあまりやらない。フォートナイトにおける猛者たちは、理屈ではなく感覚的にコントローラーを操作している。どのボタンを押すか頭で考えているプレーヤーはおそらくゼロだろう。

「遠回りすることが一番近道」と言ったのはイチローだが、ひたすら、ひたすら、やり込むしかないことがある。フォートナイトをやり込むつもりはまったく無いが、馴れないゲームにチャレンジしてみたことで、習慣化や継続の大切さに改めて気づかされた。そういう意味ではビクロイである。

*ビクロイとはビクトリーロイヤルの略で、最後まで勝ち抜いて勝者になること。