「バースデイ・ガール」 村上春樹

「バースデイ・ガール」 村上春樹

最高の短編だと思う。

著者自身は肩の力を抜いて楽しんで書いたと本作について語っているが、完成度の高さがすごい。ミステリアスで内向的なトーンに覆われているものの、コアの部分はポジティブでロックしている。あまりに良いため、読み終えてすぐまた読み始めてしまったほどだ。いろいろな意味で影響を受けそうだ。

主人公の女性が、二十歳の誕生日について回想する。その日、彼女はいつものようにイタリアンレストランで働いていた。フロアマネージャーが体調を崩して病院へ行くことになり、代わりにオーナーの部屋へ夕食を運ぶよう頼まれる。オーナーに会ったことがあるのは、フロアマネージャーだけだった。決められた時刻にエレベーターで604号室へと食事を運ぶ。オーナーはダークスーツを着た清潔で小柄な老人だった。オーナーは彼女に、5分ばかり時間をくれないかと言う。彼女が二十歳の誕生日を迎えたことを話すと、プレゼントとして一つだけ望みを叶えると言う。どのような望みでも構わないと。彼女は、遠慮しながらも願い事を一つ伝える。意外な願い事にオーナーは少し驚く。そして空中を見つめて奇妙な動きをした後、「これでよろしい。君の願いはかなえられた」と言った。その回想話を聞いた僕は、「願い事は叶ったのか?」「その願い事をしたことに後悔はないか?」と彼女に尋ねる。

構成がシンプルで、とても読みやすい短編だ。この主人公の女性がオーナーに告げた願い事は、物語の中では書かれていない。しかし、後半の「僕」との会話を読めば、何をお願いしたかは明らかだ。それは、それなりの肩書きの男性と結婚し、子供を持ち、大きな犬を飼って、外車に乗り、テニスを楽しむ「中の上の暮らし」を手にすることだ。「願い事が実際に叶ったか?」の問いに対して、彼女がYesと答えたことからも読み取れる。Noでもあると答えているが、先のことはわからないという意味であろう。時間が重要な役割を果たす願い事なのだ。

「それを願い事として選んだことに後悔していないか?」の問いに対して、彼女は少し沈黙し、奥行きのない目を「僕」に向ける。ひっそりしたあきらめがそこから見て取れる。そして彼女はこういう。

「人間というのは、何を望んだところで、どこまでいったところで、自分以外にはなれないものなのねっていうこと。ただそれだけ」

ここには、人は何を願ったって変われやしない、という一種の諦念がある。

彼女は、あなたが私の立場にいたら何を願ったかと「僕」に訊く。「二十歳の誕生日からは遠く離れすぎていて何も思いつかない」と返すと、「あなたはきっともう願ってしまったのよ」と言う。

私の解釈では、「僕」は彼女の人生に対する受け身の姿勢を否定している。誰かに願いを叶えてやると言われ、そこに乗っかるような消極的な人間に、生きている実感など得られるはずがないと。手に入れられるか否かは別として、少なくとも「僕」は自発的に願いを持ち、自力でそれに向かって歩んでいる。だから、老人にこれからの人生を託す気などさらさらないのだ。そうした「僕」の能動性は、彼女の心を解放する。自分には、そのようなポジティブなエンディングに感じられた。

暗い話と捉える人もいるようだが、生きる活力をくれる力強い短編だと思う。

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