「左に見えますのは」 カート・ヴォネガット

「左に見えますのは」 カート・ヴォネガット

とてもチャーミングな作家だ。夢中にさせるだけの魅力を持っている。

この短編集の紹介文は「日本でもっとも愛されている作家、カート・ヴォネガット。」で始まる。根拠があるかは別として同感だ。

「左に見えますのは」(原題:And on Your Left)は、全短編集4に収められたユーモラスな一遍。未発表作品の一つで、この短編集が初出になるそうだ。(まさにコンプリート短編集!) なかなか完成度の高い作品に思えるが、どうして生前に発表されなかったのだろう? 著者自身が納得していなかったのか、出版社が受けそうもないと判断したのか、そのあたりの事情はわからないが充分に世に出せる力作と感じた。

観光ガイド風のタイトルが想像させる通り、見学ツアーのコースになってしまった電気器具会社の研究施設が舞台。見世物の演者をさせられ、研究に集中できなくなったと嘆く博士たちを描いている。

ムード的にはドタバタ喜劇という感じで、筆致はユーモラスで温かい。企業の営利主義へのシニカルな批判であるのだろうが、辛辣さや憂鬱さはなくスラップスティックな印象だ。ヴォネガット作品ではよく言われることだが、失望と愛情が同居しており、ベーシックなところに善意が流れていると感じる。

ちょっと話は逸れるが、格闘技の試合で、剥き出しの殺意を持った選手がたまにいる。(とっくに勝敗がついているのに殴り続けているとか) そういう試合は、観ていて疲れる。制御できない攻撃性は、刹那的な興奮をくれるが後味が良くない。

もう一つ。

私は警察を追いかけるドキュメンタリー番組が好きになれない。警察官の熱意や優秀さを伝えたいのかもしれないが、感情剥き出しの犯人が出てくると神経がすり減ってしまう。

ヴォネガットと関係のない話をしているように聞こえるかもしれないが、私の中では関連している。ヴォネガットは辛い戦争経験を乗り越え、批判精神を持っている作家だが、表現においては自身をコントロールしている。だから、安心して読むことができる。安心して読めるというのは、過激で破壊的であることより、ずっと強いことだと思う。

私はヴォネガットに詳しくないが、とても人間的に魅力を感じている。