「世慣れた男」 アーネスト・ヘミングウェイ

「世慣れた男」 アーネスト・ヘミングウェイ

「世慣れた男」は文庫で10ページもない短編で、ヘミングウェイがあまり小説を書かなくなったキューバ時代後期の作品だ。

キューバ時代後期と聞いてもピンとこない方が多いだろう。私もこうして偉そうに書いているが(偉そうにしているかな?していたらゴメンなさい)、ヘミングウェイ年表がすべて頭に入っているわけではない。パリだ、フロリダだ、キューバだ、と引っ越ししまくっているし、妻だって4人も変えている。いくつもの戦争を取材し、長期旅行にもよく出かけていたので、どの時期の話で、どの出来事を下敷きにして書いた作品なのか混乱することがよくある。

「世慣れた男」に話を戻そう。

ヘミングウェイは1899年生まれで、1961年に生涯を閉じている。「世慣れた男」は晩年の1957年に発表された短編だ。

キューバには1939年に移住し、1960年まで約20年間暮らしている。つまり「世慣れた男」はキューバ時代後期の短編ということになる。

ちなみにキューバはこういうところ。

ヘミングウェイのファンであれば、キューバ時代後期に良いイメージは抱いていないかと思う。「河を渡って木立の中へ」「海流の中の島々」「善良なライオン」「一途な雄牛」「老人と海」「移動祝祭日」「エデンの園」「盲導犬としてではなく」「何を見ても何かを思い出す」「本土からの吉報」と、評価がイマイチな作品が並ぶ。

老人と海」はノーベル文学賞を受賞して華々しいが、低迷が顕著なこの時期に一作品だけケタ違いのクオリティにはならないと考えるのが自然だ。多くの人が不朽の名作と思い込んでいるが、読んで心を震わせた人は実際にはどの程度いるのだろうか。壮大な海を舞台に不撓不屈の精神を描く、そのストイックなイメージに惹かれる気持ちはわかるが、やや精彩を欠いていて退屈と私は感じる。短い作品だが我慢の読書を強いられる。(あくまで私の主観)

なぜ、このキューバ時代後期は不毛であったのか。年齢的にはまだ50代で老け込むには早過ぎる。

私の想像だが、4人目の妻メアリーが献身的な女性であったことが大きいと思う。穏やかで心地好い毎日だったかもしれないが、ほわっとゆるんでしまった気がする。すでに名声を手に入れ、何かと煩わしいアメリカの喧騒からも離れ、男勝りな3人目の妻とも別れ、テニスに海釣り、プールサイドでカクテルを楽しみ、陽気な人々に囲まれて過ごしていた。そりゃ、表現者としてのヒリヒリするようなテンションは薄れてしまうだろう。

もう一つの要因が、1954年の事故である。アフリカ旅行の際に二度の飛行機事故に遭い、左目の視力と左耳の聴力を失ったらしい。内臓も破裂した。その後遺症に悩まされていた上に、鬱の症状も強まっている。(おそらく遺伝的なもの) 重度の糖尿病も患っていたそうだ。創作に集中できないほど満身創痍であったのであろう。

その事故の3年後に発表されたのが、この「世慣れた男」である。喧嘩で目玉をくり抜かれて失明した男が、スロットマシンのある酒場に通うというハードボイド色の強い短編だ。

原題は、A Man of the World。男の中の男といったマッチョな意味ではなく、苦労を経験して世の中をよく知っている男というニュアンスかと思う。

この作品では、喧嘩で目を失っても心は折れずに生き続ける男の尊厳が描かれている。惨めな姿になろうとも決して退かない不屈の精神は、「敗れざる者」「嵐のあとで」「僕の父」「老人と海」「一途な雄牛」などいくつもの短編でヘミングウェイが扱ってきた主題である。

キューバ時期後期には、戦争に関する小説をほとんど書いていない。「世慣れた男」で描かれているえげつない暴力を戦争の比喩と見ることもできるが、飛行機事故によるパーソナルな辛さを克服するための自己救済の話と考えるのが自然かと思う。明るい話ではないし、グロテスクな描写もあるが、しぶとく生きようという気持ちが湧いてくる。

キューバ時代後期の作品は精彩を欠いたものが多いと書いたが、好き嫌いは別にして読み応えはある。ネタの在庫が尽きている感はあるものの、文章そのものに衰えは感じない。キューバでの暮らしがゆる過ぎたこと(多少は外からの刺激やストレスを受けた方が健やかでいられる)、それと老いることに対してもう少し柔軟であったなら、違った晩年になっていたかもしれない。

ヘミングウェイは1959年にアイダホ州のケチャムに家を買っている。終の住処を選んだようにも映るが、その後に約半年間もスペインで闘牛観戦旅行をし、「危険な夏」を書いている。鬱病が本格的に悪化して入退院を繰り返すのは、旅行後の話だと思う。あまり自信はないが、死に場所を求めて故郷アメリカへ移住したのではない気がする。生きるために環境を変える必要があったのではないだろうか。「世慣れた男」を読むと、そういう気がしてくる。