ヘミングウェイ 名言(原文に忠実に再翻訳しました)

一番好きな小説は何ですか?

一番好きな小説は何ですか?

「一番好きな小説は何ですか?」

皆さんはこの質問に即答できるだろうか? 私は、かなり悩む。好きな小説だけでなく、好きな映画も、好きな食べ物も、座右の銘も、どれも明快に答える自信がない。どっちつかずな性格で、優柔不断なのは認める。でも、なぜこのようなシンプルな質問に答えられないのだろう。おそらく、迷いなく答えるためには思考を超えた絶対的な何かが必要なのだと思う。

絶対的な何かとは、「もし、あの小説を読んでいなければ、自分は今この世にいないだろう」とか「50年ぶりに父親と再会できたのは、あの短編がきっかけ」とか「消せない辛い過去と向き合えるようになったのはあの本のおかげ」といったことだ。面白くて5回読んだとか、感動して涙が止まらなかった、などの理由は明日になれば薄れてしまう。一年も経てば忘れてしまうかもしれない。その程度の「好き」は、人生にとって有っても無くても影響はない気がする。深いところで人生に関わる小説を求めている人にとって、ベストワンはそう簡単に出てくるものではない。

とは言っても、そんな劇的な人生ドラマなどそうあるものではない。

少し話がズレるが、時々こんなことを考える。

戦争によって荒れ果て、厚い灰色の雲に空は覆われ、あさましいハイエナのような悪党たちが彷徨う土地をひとり旅をしなければならないとしたら、小説は何らかの助けになるだろうか。

発想が非現実的かもしれないが、自分にとっては、それは小説の価値を判断する一つの有効な基準になっている。生死が約束されない過酷な状況で、この小説は生きる力をくれるのか。そんなことを考えて読書をする人間がどこにいる、と言われるだろうが、それが私の習慣なのだ。

そんな基準をクリアする小説があるのかって?

理由はわからないが、荒廃した終末世界への旅に、私はレイモンド・チャンドラーの小説を持っていく気がする。例えば、「湖中の女」を。ドストエフスキーでなく、トルストイでもなく、遠藤周作でもなく、チャンドラー。

何というのか、自分の正気を保つためにとても役立つ気がするのだ。自分が自分でいることの、助けになる気がするのだ。

何を書いているのか、よくわからなくなってきた。大事なことを書いている気はするのだが、なんだかわからなくなってきた。まあ、論文を書いているわけではないので、こういうまとまりのなさも一興かと。この頃、仕事が忙しいせいか、脳のグリップ力が弱っているなあ・・・